この私の「死」の解決
セミは7年間地中で暮らし、地上に出て7日間しか生きられないと言います。
セミは冬の雪も春の桜も秋の落葉も知りません。
夏しか知りません。
そして、夏しか知らないということは、実は今が夏だということを知らないのです。
この話は、「セミは可哀そう」とか「セミは虚しい」とか思っているこの私へのたとえ話です。
つまり、生きることにしか目を向けず、生きることしか知らないということは、実は生きるということを知らないのです。
死の解決がなされて初めて生きるということを存分に味わうことができます。
「死はけがらわしい」とか「死ぬ話は縁起でもない」と死を遠ざけながら生きている私です。
それで死なないなら結構ですが、生まれた時から死も抱いて生きています。
必ず死にます。
死が不安なら十分に生きることもできません。
浄土真宗は死ぬ時に救われる教えではありません。
生きているうちに救われる「死」の解決です。これが本当の現世利益です。
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