「迷い」とは「真酔い」先月の続きです
阿弥陀様・ご先祖様は我々の都合を聞いてはもらえません。
私たちの都合など構ってはもらえません。
それどころか私たちに苦を与えられます。
「思い通りにいかないこと」は生きていれば毎日のように起こります。
自分にとって最も都合が良くない老・病・死も生まれたからには必ず起こります(生老病死)。
願えば老いない・病まない・死なないのでしたら良いのですが、そうもいきません。
毎日のちょっとした苦を何とか避けたい思いから「どうか〇〇なりますように!」と手を合わせている私たちの姿こそ迷いのど真ん中、真酔いの姿です。
本当に酔っている人は自分が酔っていることに気づいていないように、迷っている人も自分では気づかずにアテにならないものをアテにして迷っているのです。
仏様は私の願いを聞き届けてはもらえません。
仏様は私にとって不都合なことを与えてくださり、その不都合によって自分勝手な思いを少しずつ削り取ってくださるのです。少しずつ諦めを与えてくださるのです。
これは自力が廃れていくことです。
そして自分ではどうにもならない思いから他力(南無阿弥陀仏)に帰っていくのです。
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