アテになる、「領収書まいり」
浄土真宗は「請求書まいり」ではなく「領収書まいり」です。と言われることがあります。
「請求書まいり」とは、神仏に自分の願いを要求・請求するお参りのことです。
お賽銭をチャリンと入れて、『どうか○○になりますように』とお願いします。
それで本当にその願いが叶うのかどうか私は知りませんが、肌感覚で理解しやすい教えであり、占い・迷信・おまじない・祈祷などです。
本当にアテにして良いのでしょうか?
何よりも大切な自身の人生をアテにならないものをアテにしては勿体ない!
「領収書まいり」とは、今まさに私に届いている事象(例えば今日の命を生きている。
老いて病気になって初めて周囲の支えに気づかされた。
死んでも親は子を育て続けてくれている。)に感謝できるお参りのことです。
私→仏様ではなく、仏様→私だったと気づかされることによって、『もう既に、先に頂戴してました。ありがとうございます。』と感謝せずにはおられません。
既に私に届いている事(仏様からの願い)に感謝するのですから、ハズレることはありません。
ハズレることがないから、アテになり頼りになります。
悩んだり、心が弱った時にフラフラと「請求書まいり」に頼ってしまわないよう、シッカリと「領収書まいり」に頼れるよう、元気な時にこそ仏様の話(法話)を聞き続けたいと思うのです。


