自分の不都合は自分の都合
去る6月2日(金)、三河地方や紀伊地方を中心に線状降水帯が発生し土砂崩れや洪水の被害が発生しました。
様々なニュース映像によって被害状況を目の当たりにする時、
「お気の毒なことです」「早く元の日常に戻りますように!」と思います。
しかし、同時に、
『自分でなくて良かった』『岐阜は災害がなくて良かった』との思いも出てきます。
私の腹の底には確実に、
『自分さえ良ければ』『自分は大丈夫でありたい』
の自分中心の根性が横たわっています。
そんな自分勝手な思いを抱いたままでも今日の命を生かさせてもらっています。
なんと勿体無く、有難い事でしょうか。
自然災害は人間の力では避けようがない。
だから、「災害(自分の不都合)が起きませんように!」と神仏に祈る。
それで本当に災害(自分の不都合)が無くなるなら良いのですがどうなのでしょうか?
浄土真宗は阿弥陀様に災害(自分の不都合)を取り除くために合掌するのではありません。
自分の都合も不都合も全てが御与えです。
「そんな不都合の御与えなんていらん!」というのは自分の都合。
不都合が転じて都合に沿うようになることまで阿弥陀様は用意して待っていてくださいます。
不都合が都合になり、感謝の念が思い出される時、阿弥陀様の願いに我々が気付かされる時なのでしょう 。
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